『人文会ニュース』105号

人文書出版社の団体会報を拝受。
昨年の秋に行なわれた講演(竹内洋氏「教養主義の没落と人文・社会科学」)やパネル・ディスカッション「人文会の40年と人文書の可能性」など。
出版社や書店の抱えている問題や今後の展望がわかる。
非売品らしいので、駒場関係者で読みたい方にはお貸しします。ご一報を。

紀伊國屋書店新宿店の吉田敏恵さんが、『都市の詩学』刊行時のフェアについて触れてくださっている。

月曜社の小林浩さんが資料としたレジュメに、いわゆる「ゼロ年代」に対する先行世代の象徴的人物として、「20年代吉本隆明、30年代:養老孟司、40年代:柄谷行人、50年代:浅田彰、60年代:福田和也」とあるのに吃驚する──30年代と60年代の選択に。
自分の感覚では、福田さんは浅田さんと同じ世代。養老さんが選ばれている理由はちょっと理解できない。そこが「ゼロ年代」たる所以か。

世代からは逃れられないけれど、もはやその問題はどうでもいいことに思える。
少なくとも最近の2冊の本を書いて、自分自身としては、世代論の呪縛からは脱することができた。
ひとは世代として書くのでもなければ、世代のためだけに書くのではない。
ある世代への執着が強度を持ちうるのは、それが決定的に喪われている時だけだ──橋川文三のように。
同世代の死者たちのために書かなければならぬ生き残りとして。

現代イタリア思想とやらが流行りそうな時勢も結構だとは思うが、その種の状況論にも関心がもてない。
アガンベンやカッチャーリは、たとえばイタリアにおけるベンヤミン受容やニーチェ受容の歴史的経緯を考えても、それこそ世代的にもきわめて特殊な現象のように思えてならない。

2002年にカッチャーリを招聘したそもそもの大元は、はるか四半世紀前に遡る、マンフレド・タフーリの書物との出会いだった。彼の建築史を通じ、いわばイタリア人に導かれてドイツの建築史、文化史研究に入ったことが、自分自身のその後の道も決めているように思う。
カッチャーリという恐ろしく複雑な人物。
多島海』が月曜社の刊行予定書籍に残っているのを見て、ほっとする。
みすずから出るはずの翻訳はどうなったのだろう。

出版社、編集者や書店にとっての人文書の「トレンド」そのものは、いつもとても遠いものに感じられる。
その隔たりがどんどん大きくなる。
これは喜ぶべきことだろうか。