「戦友」の死

加藤和彦氏が自殺した。
彼のファンだったとか、楽曲をよく聴いた、といったことはない。
小学校時代に「帰って来たヨッパライ」を知って以来、北山修氏と作ったいくつかの曲に親しんできただけだ。
ただ、サディスティック・ミカ・バンドの頃、グラム・ロックを取り入れてロンドンで活躍した経緯は、ちょうど同じ時期にボウイに出会っていただけに、強く印象に残っている。

そんな対象だったにもかかわらず、この自死には予想以上のショックを受けた。
そして、北山修氏のことを思った。

朝日新聞に出た北山氏の「戦友としては、その前だけを見る戦いぶりに拍手を贈りたい」という追悼の言葉を読み、ザ・フォーク・クルセダーズとは、その名の通り、「戦い」の集団だったのだなあ、と何か腑に落ちるものを感じた。しかし、この悼辞を締め括る「無念」の思い、如何ばかりだろう。

Youtubeで加藤+北山の「あの素晴しい愛をもう一度」を繰り返し聴いた。レコードジャケットの裏書きにはこうあるという。

「25才を前にして」 北山修
 私の親友、加藤和彦君がカナダのバンクーバーで愛妻光子さんと結婚したのは昨年の7月30日でしたが、その時、私は大切にしていた詩の一つを二人にプレゼントしたのです。
 それから5ヵ月後、加藤君はそれにメロディーをつけてクリスマスの贈物として光子さんに渡しました。それ以来、この曲は我々の仲間の愛唱歌となったようです。
 この6月19日で私は25才になりますが、その記念にレコードにしたらと云う話を仲間の一人が持ち出し、加藤君もそれに快く応じてくれました。そうして出来上がったのが、このレコードなのです。
 加藤夫妻と仲間のひとりひとりに、心から感謝しております。

けれど、この歌を知る者ならわかるように、結婚祝いにしては歌詞がどうもそぐわない。ちょうど今年放送された「名曲誕生ストーリー」によると、他の説もあるようだ。
さらにここでは、「曲を作ったキッカケの真想は定かではありませんが、歌詞からは男と男の友情のような感じを受けますよね」という証言も語られている。

ともに大変な才能のある男性二人が戦友としての「戦い」をくぐり抜けたのちに作った「別れ」の曲として、この歌を聴くことができるのかもしれない。
精神分析医である北山氏は、たぶん、そんな経験の意味を十分自覚していたのだろう。

残された者はいつも無念な思いを抱えて、それは鎮まることがない。