周期的同時多発性

必要があって1990年代半ばからのメールを見返す。
1999年から2000年にかけて、大学の組織編成などに忙殺され、翻弄されていたことを思い出す。
2002年にカッチャーリ氏を招聘した計画には、当初、リベスキンド氏も含まれていた。折り合いがつかずに立ち消えとなったが、磯崎さんの建てた東京グローブ座で二人の対談を行なうというアイディアは、今でも魅力的だったと思う。奇しくもこの小屋は2002年にジャニーズ事務所に買収されてしまった。
2005年も学会設立に向けて動き出した点で節目になる年だった。
そして、出来事はいつも同時多発的に起こる。

情報学環ができてもう十年ということか。一期生の平倉氏の博論審査に、設立当時の総長である蓮實先生と現在の学環長である石田先生を迎え、感慨深かった。
あの博論審査はとてもいい会だった。

十数年を振り返れば、苦い思い出もある。
どんなことであれ、長期的に責任を取る覚悟のある発言かそうでないか、自分で泥をかぶるつもりがあるかどうかが、発言の信頼性の根拠だろう。
気の効いた「アイディア」ならばどんなことでも言える。そして、そのアイディアの責任を取らないことに対する幻滅を感じた十年ではあった。

いい加減に寛容になりたいとは思うものの、こればかりはどうしようもない。
一貫性のなさにほとんど怒りすら覚えて、それを「自分は一貫した主張をする「もの書き」であろう」と覚悟する動機にしてきたのだから、これもまた良しとすべきだろうか。