「大学の絶望」?

久しぶりに総合誌、文芸誌を講読してみた。
中央公論』では「大学の絶望」の特集。「下流化した学問は復活するか」と題されているが、「下流化」などというわけのわからない概念を使っている時点で、「学問」としてはすでに終わっている。対談や論考はさまざまで、現状認識や方策が間違っているとは思わないし、多くは賛同するが、どこか危機感に欠けているようにも思った。1990年代の大学院重点化とその後の補助金削減で、それこそ、「派遣労働者」の「非正規雇用」をめぐる問題が大学でも深刻化しているのだから、この点を正常化するためにも「正規雇用」の見直しが必要なのだろう。これは学問のあり方とは別次元の話だ。

同じ『中央公論』で、中島敦太宰治大岡昇平松本清張埴谷雄高花田清輝といった作家が生誕百年を迎えていることを知る。中島や太宰と松本清張が同年生まれということに驚く。編集後記で、橋川文三が敗戦直後、埴谷雄高の隣家からの帰り、太宰治に偶然出会ったという話が引かれている。太宰の実に不可思議な人間性に橋川や吉本隆明が触れていたことを思い出す。

その他、数十年前の友人の病死を綴った、『新潮』の多田富雄「残夢整理」(連載第2回)が強く印象に残った。冒頭は焼かれた骨を骨壺に納める場面。数年前、同じような機会に、ひと一人分の骨がひとつの骨壺にちょうどぎりぎり納まる様子を、神秘的にすら感じながら見つめていた。

追悼文で「加藤周一と一緒にいると、どこか西洋人と一緒にいるような気がした」と水村美苗が書いている。彼にはあるパーティで一度だけ会い、言葉を交わしたことがあった。当然ご存じと思った話題を共有できず、やや失望し当惑しながら、ドイツの文化が専門であるという自己紹介を糸口に、ドイツと日本の戦争犯罪について、ドイツ語を交えながらのお話をうかがった。革命党としてのナチによる犯罪が戦後に清算される一方、軍の犯罪はなかなか問われなかったドイツ。日本の場合はナチに当たる勢力がなかっただけに軍による犯罪が徹底的に糾弾されにくかった、という。

このあたりの経緯について記憶が薄らいでいたので、2003年当時、非公開で書き残していた日記を読み返した。ネット上にデータはあったが、公開していなかったため、かなり辛辣にあれこれを批判しており、今よりもはるかに正直ではある。ただ、現在の韜晦した書き方も、意味がないわけではない。

例えば、こんなことを書いている。

たまたま○○『△△』に、こんな記述があることを知る。――カナダの大学で開かれたヴェトナム戦争反対のティーチ・インに率先して参加したのは数学者や物理学者、あるいは英文学者の教授で、政治学者や歴史家は先頭には立たなかった。歴史的事件を理解するとは原因・結果の連鎖のなかにそれを組み込むことだから、専門家の知識が進めば進むほど歴史は必然に見えてしまう。それゆえに批判力は低下する。これは普遍的に言えることだ。一方、戦争に反対する動機は、客観的な理解過程ではなく、たとえば「子供を殺すのは悪い」といった、ためらいのない倫理的正義感である。この目的を達成するために科学的・客観的知識を利用すべきで、科学的知識のために倫理的判断を犠牲にすべきではない。だから、「初めに戦争反対ありき」であり、その反対を貫徹するために学問の助けを借りる。戦争反対をできないようにする傾向が科学的知識には含まれているのだから、「科学から倫理」ではなく、「倫理から科学」でなければいけない云々。
国立大学独立法人反対の運動をおこなっている物理学者が、なぜ反対運動に文系の人間が少ないのかを考えたときに見つけた文章なのだそうだ。
非常に巧妙なレトリックだが、こうした発言が○○という「大知識人」の言葉として流通するところに欺瞞性を感じる。これでは結局、直感的に正義である目的のためには学問を恣に「利用」してかまわない、という最悪の功利主義ではないか。しかも、そのような「知」の道具主義的利用を「知識人」が奨励するという構図は、二重化された「知」の権威的利用ではないか。「子供を殺すのは悪い」という否応のない判断を例にすることで、論理の陥穽は巧みに隠蔽されているが、ここから引き出されるのは、自己批判を伴わない「実感」信仰以外のものではない。
アザラシを捕獲しようとした団体が、意図を偽って自分たちの行動を強行しようとした背景にある、自己の信念の無批判な絶対化と何ら変わりない。
なるほど、死んでゆく子供を見ないために作り出される学問的知もあるだろう。しかし、そのような知の欺瞞を批判するものもまた知である。知的検証を経ない実感を絶対化したときにあらゆる暴力は正当化されうる。もっとも禍々しいのは、そのような知の自殺を「知識人」が演じているという点だ。まさしく「演じて」いるのであり、彼は「知」の力(権力)をどこまでも信じている。そして、その権力は実は死んでゆく子供を見ないために行使される権力と同質のものであることにも、彼は気づいている。真に悪魔的なのは(つまり弱き者を誘惑してやまないのは)、こんな知=権力ではないだろうか。

某雑誌のある建築家の特集号で目にした、某建築(批評)家のエッセイにも怒っている。ついでに同じ類の建築(批評)家たちまで連想してしまう。嫌なことを思い出してしまったものだ。「建築」と言えば、「アーキテクチャと思考の場所」というシンポジウムの開催を知る。東氏が司会、浅田・磯崎・宮台といった顔ぶれ。とても遠い世界の出来事のように見えてしまうのはなぜだろうか。

追記(2009.1.31):
アーキテクチャと思考の場所」について、インターネット上のレポートをいくつか読む。
磯崎さんはコンピュータによって生成されるプロセスを「どこで切断するか」について語ったそうだが、これは「海市」前後、つまり十年以上前に問題になっていたこと、というか、ヴァーチュアル・アーキテクチャー批判の文脈でわたしが問題にしたこと(「10+1」で発表し、『都市表象分析I』に収めた「建築の哀悼劇」)。磯崎さんが言及したグレッグ・リン(どこかのブログでは彼の名が「クレムリン」になっていた)には、1997年の「バーチャルアーキテクチャー」展シンポジウムで会った。
「建築の哀悼劇」に書いたように、磯崎さんの言う「切断」は「決断」に関わるのだから、カール・シュミットの政治神学にも当然関係する、政治的な問題なのである。

都市表象分析I (10+1 series)

都市表象分析I (10+1 series)